数値や画像には映らない、でも確かにそこにある「気のせい」な揺らぎ。
東洋医学という、少し不思議でやさしいレンズを覗きながら、日々の澱(おり)をほどき、心を満たして歩んでいくための静かな備忘録です。

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検品を終えて、庭師になる。笑って幕を引くための、土の下の温め方。

日々を養生する
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「最後は笑って死ぬ」

これが、私の人生の、ぼんやりとした、でも揺るぎないゴールです。

臨床の現場に立ち、日々患者さんの身体に触れ続けて20年。
その中で、私はずっと「どうすれば人は、自分の人生を美しく使い切って、最後に笑って幕を引けるのだろう」と考えてきました。

そのために必要なのは、最新の医学的エビデンスでも、誰かが決めた健康の数値でもありません。 窓辺に置いた小さな鉢植えを愛でるような、「自分自身への微細な観察眼」を、もう一度取り戻すことだと思うのです。


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1. 根っこさえ生きていれば、人は何度でも芽吹く

以前、我が家の窓辺で育てている緑の鉢植えが、一時期、ほとんどすべての葉を落としてしまったことがありました。 一見すれば「もう枯れてしまった、寿命だ」と諦めて、ゴミ箱に捨ててしまいそうな寒々しい姿です。

けれど、土をそっと指で掘り起こし、その下にある「根っこ」を確かめてみると、まだしっかりと生きていました。

そこで、直射日光の当たらない、でも明るくて柔らかな光が差し込む場所に鉢を移し、余計な水をやるのをやめて、ただ静かに待つことにしました。すると、数ヶ月が経ったある朝、土に一番近い幹の皮を破って、瑞々しい新しい芽が小さく吹き出してくれたのです。

人間も、まったく同じです。

どれほど大きな不調(葉落ち)が重なり、目の前が真っ暗になったとしても、土の下にある「根っこ(生命力や気)」さえ腐っていなければ、人は何度でも、何歳からでも芽吹くことができます。

多くの人は、不調になると焦って強い薬や無理な栄養剤を注ぎ込もうとします。
けれど本当に大切なのは、「ここは居心地が良いんだ、もう無理に頑張らなくていいんだ」と、自分の身体が心から安心できる環境を整えてあげることです。

見た目や数値だけで「もうダメだ」と切り捨ててしまうのは、あまりにももったいない。私は20年の臨床で、そんな「根っこの強さ」によって、奇跡のように輝きを取り戻した人を何度も目にしてきました。


2. 西洋医学は「検品」、東洋医学は「庭師」

現代の医療は、時として工場の「検品作業」のように感じられることがあります。

一定の基準数値からわずかでも外れれば「異常」というラベルを貼り、薬を使って無理やり枠内に収めようとする。けれど、その「正解の数値」は、時代や人類全体の平均統計によってコロコロと変わる、他人の物差しに過ぎません。

もちろん、急な怪我や感染症、命の危機に対処する「戦争の医学(急性の医学)」として、西洋医学は絶対に必要です。 しかし、日々の暮らしの中で、自分らしく健やかに生き抜くための「生活の医学」としては、一人ひとりの身体の手触りや個性を診る、東洋医学の「庭師の視点」が不可欠です。

例えば、普段から血圧が140~150くらいで、とても元気に機嫌よく過ごしていた人がいるとします。 その人が「血圧が高いから」と検品され、薬で120の「正常値」まで下げられた途端に、今度は「だるくて、起き上がれなくて、眠くて仕方ない」と漏らされるケースが本当によくあるのです。

数値は「正常(合格)」になっても、その人の「気」は完全に沈んでしまっている。
数値を診るお医者さんは「良好です」と太鼓判を押しても、あなたの身体は「不快だ、苦しい」と悲鳴を上げている。

自分のたった一度きりの調子を、他人が作った「数値」という物差しに丸投げしてはいけません。


3. 命を前借りする「無理」という罠

現代社会は、胃薬や痛み止め、栄養ドリンクを使って「手軽に無理ができる」仕組みが、恐ろしいほど完璧に整っています。

どうしても今日を踏ん張らなければならない時の「覚悟の油(命の前借り)」として、一時的にそれらを使うのは良いでしょう。しかし、それを「当たり前の日常」にしてしまった時、私たちは自分の大切な根っこを、自らの手で腐らせ始めます。

「胃薬がないと耐えられない食生活」を続けていることに、無自覚になっていませんか?
痛み止めで身体のSOS(悲鳴)を無理やりかき消し、会社という大きな組織の「便利な歯車」として、自分自身を消費し続けていませんか?

そうして命の火を不自然に灯し続けた身体は、プロの目から見ると、非常に危うく、脆い「枯れ方」をしています。
無理なもんは、無理なのです。
そのことに気づくせっかくのきっかけを、薬で消さないでほしいと切に願います。


4. 命の火を燃やし尽くす——理想の最期

私の理想とするロールモデルは、同じ業界の大先輩の先生です。

その先生はご高齢で、何度か入院を経験されながらも、退院すると必ずまた白衣を着て臨床の現場に戻ってこられました。
そして最期は、普段通りに患者さんの身体を診て、「じゃあ、またね」と見送ったその日のうちに、命の火を綺麗に使い切るようにして、ふっと亡くなられたのです。

それはまさに、東洋医学でいう「気の充実」を象徴する、天晴れで美しい最期でした。

逆に、若くして現役をリタイアし、何不自由ない裕福な生活を送っていても、することがなく「気」が停滞(鬱滞)してしまい、精神が激しく揺らいでしまう方を私は多く診てきました。
東洋医学では、精神の不安や気分の落ち込みも、多くは「気が動いていない(巡っていない)」という、とても単純な理由に結びついているのです。

「大変だけど、誰かのために手足を動かし、やりがいを得る」。
そんなふうに、死ぬその日まで自分の気を動かし続けられる場所、愛でるべき自分の庭を持つこと。
それこそが、最後の一歩まで自分らしく生き、笑って幕を引くための最大の秘訣なのだと思います。


土の下の「根っこ」に、そっと火を灯す

「最後は笑って死ぬ」ために、今すぐできること。

それは、自分の身体をじっくりと、優しく観察してあげることです。

朝起きたときの呼吸の深さ、お腹やみぞおちの硬さ、自分の声の響き。
それらはどんな精密検査の数値にも現れない、あなただけの、今を生きている確かな手触りです。
自分の身体の主導権を他人に丸投げせず、自分自身の「心地よさ」を、人生で一番大切なデータにしてください。

窓辺の鉢植えに柔らかな光を与えるように、自分自身の心身にも、優しい環境を選び取っていく。

そのための最も身軽で、最もやさしい道具として、私は毎晩の「お灸」をそっとお勧めしています。

「気のせい」なゆらぎを、お灸でそっと整えて。
単なる温熱グッズで終わらせない、せんねん灸の本当の力。臨床20年の鍼灸師が、せんねん灸(太陽・竹生島)の使い方や、図解に縛られないツボ探しのコツを解説。日々の強張りをふわりとほどく静かなひとときを。

台座にぽつんと灯るちいさな火。 その温もりは、皮膚を通じて、寒さや忙しさでカチコチに強張ってしまったあなたの「根っこ(土の下)」まで、じわじわと、深く染み込んでいきます。

「あぁ、温かいな。心地いいな」

そう感じられる瞬間こそが、あなたの身体が安心し、再び芽吹くための環境が整ったサインです。

頭の検品作業を終えて、自分の身体をいつくしむ庭師になる。 今夜、ちいさなお守りの火を、あなたの足元にそっと灯してみませんか。

色々なことがある毎日。頭や心に「澱(おり)」が溜まりそうな夜は、自分で自分の「気」を調律してあげるのが、一番やさしい解決策かもしれません。

日々を養生する
伝統的な東洋医学に基づき、現役鍼灸師が実践する「養生」の記録。お灸や眠り、心の整え方など、数値に頼らず自分の「心地よさ」を取り戻すためのセルフケアと思索の跡。

私が毎晩、布団に入る前に実践している、お灸や呼吸といった、数値を追わない「小さな養生の知恵」をこちらに置いておきます。

とふ

臨床20年。鍼灸師の目線で、世の中をふんわりと眺めています。
日常のあれこれも、結局は「全部、気のせい(気の状態)」。 そんな風に感じたこと、見つけたことを、気ままに書き留めておく備忘録です。

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