数値や画像には映らない、でも確かにそこにある「気のせい」な揺らぎ。
東洋医学という、少し不思議でやさしいレンズを覗きながら、日々の澱(おり)をほどき、心を満たして歩んでいくための静かな備忘録です。

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添加物を恐れすぎる人と、無関心すぎる人へ。「二つの極端」を手放す食の養生。

日々を養生する
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「ハムより添加物が多い食品がある」 「菓子パンやコンビニ弁当は添加物の塊だ」

ネットニュースやSNSをスクロールするたび、私たちの目に飛び込んでくる食品添加物にまつわるセンセーショナルな言葉たち。

それらの数字や成分表示を目にするたび、世の中の反応は大きく「二つの極端」に分かれていきます。

一つは、過剰なまでに怯え、「また体に悪いものを食べてしまった」「外食や加工食品は毒だ」と、食卓の上で深刻な罪悪感と恐怖(澱)を抱え込んでしまう人たち。

そしてもう一つは、「どうせ何を食べても一緒でしょ」「美味しいから気にしない」と、自分の胃腸の声に一切耳を傾けず、毎日添加物やジャンクフード漬けの食生活を無頓着に流し込み続けている人たち。

一見すると正反対に見えるこのふたつですが、臨床の現場に立って20年、無数の身体と向き合ってきた私から見れば、どちらも「自分の身体との対話を放棄している」という意味で、まったく同じ根っこを持つ日常の澱(おり)に見えるのです。


「2年間の全生涯試験」と「100倍の安全率」という客観的な事実

まず、過剰にパニックになっている方にも、逆に完全な無関心決め込んでいる方にも、冷静に知っておいてほしい客観的な事実があります。

国(厚生労働省や食品安全委員会)も、決して適当に添加物を認可しているわけではありません。

日本で使用が認められている食品添加物は、「人が生涯にわたって毎日摂取し続けたとしても、健康への悪影響を生じないと推定される1日当たりの摂取量(ADI)」が厳格に設定されています。

その安全性を確かめるために、実験動物(ラットやマウス)の平均寿命である「2年間(=全生涯)」にわたって毎日投与し続ける毒性試験や、親から子・孫世代への影響を見る繁殖試験など、極めて長期にわたるデータが要求されます。

さらに、動物実験で何も悪影響が出なかった最大量(無毒性量)から、人間への個人差や種の違いを考慮して、「さらに100分の1(1/100)」という巨大な安全係数を掛けた分量しか、人間への摂取を認めていません。

つまり、スーパーやコンビニに並んでいる加工食品を食べたからといって、直ちに身体が壊れたり、毒に侵されたりするわけではないのです。

だからこそ、「食べた瞬間に病気になる」と怯える必要はありませんし、かといって「安全だから何を食べ続けても身体に負担がかからない」と鷹をくくるのも間違っています。


「恐怖政治」と「完全なる無関心」——どちらも身体への暴力である

私たちが本当に見つめ直すべきは、添加物の数字そのものよりも、自分の身体に対するスタンスです。

【極端その1:食への恐怖政治】
「添加物を100%排除しなければならない」と神経質になったり、世間で流行する「過剰な小麦抜き(グルテンフリー)」や「極端な炭水化物抜きダイエット」に囚われてしまうケース。
「これを食べたら体に悪いのでは……」「太るのでは……」とビクビク緊張しながら食べ物を口に運んでいるとき、脳は自覚がないまま「戦闘モード(交感神経の異常な興奮)」にハックされています。
すると、胃腸の血流や動き(東洋医学でいう『脾胃の気』)はピタッと止まってしまいます。どれだけヘルシーな食材を選んでいても、消化吸収ができず、かえって自律神経を崩して心を病んでしまう。これでは完全に本末転倒です。

食への恐怖や極端な制限を手放した上で、すでに緊張や過労でカチコチに硬くなってしまった胃やみぞおち(心窩部)を、足元のお灸で優しくほぐす具体的な調律法はこちらです。

【身体を調律する】胃の不調と思い込む前に。みぞおちの「つかえ」と、自分を内省するお灸。
「胃の不調」を胃薬で検品する前に、臨床20年の鍼灸師と自分を内省するお灸を始めませんか。みぞおちの強張りと暮らしのズレを読み解き、スマホを閉じて足元の「冷たさ」や「ざらつき」に優しくお灸を据えるための、誠実で風通しの良い養生エッセイです。

【極端その2:完全なる無関心とネグレクト】
一方で、「何を食べても平気」「お腹がいっぱいになれば何でもいい」と、自分の身体をゴミ箱のように扱い、加工食品や甘い清涼飲料水を毎日無頓着に流し込み続けるケース。
直ちに倒れることはなくても、胃腸は休む間もなく添加物や未消化物の分解に追われ、代謝エネルギー(気)を限界まですり減らしています。「胃が重い」「身体がだるい」「疲れが抜けない」という内臓からの悲鳴を無視し続けることは、自分の身体に対する静かなネグレクト(ネグレクト=放置・暴力)に他なりません。

食べ物を「危険な記号」として検品するのも、逆に自分の身体を「無機質な機械」として雑に扱うのも、どちらも「『おいしいね』と笑顔で味わう食卓の喜び」と「今日の自分のコンディションを感じ取る手触り」を引き算してしまっている点において、身体を深く傷つけているのです。


土台が乱れたままでは、お灸の効果も出ない

臨床の現場で多くの身体を診ていて痛感する、避けて通れない現実があります。

それは、日々の食生活や生活リズム、そして自分の身体への関心という「土台」がボロボロに乱れきった状態で、外部からお灸やマッサージなどのツールを使ったところで、あなたが思っているような調律効果は出ないということです。

お灸は、身体の不調を一瞬で消し去る万能の魔法の消しゴムではありません。 あなた自身の内側にある「正気(生きるエネルギー)」をサポートし、循環を助けるためのお守りに過ぎないからです。

家で言えば、基礎の土台が傾いているのに、屋根の上でペンキを塗り直しているようなもの。 食事を適当に流し込み、身体の声を無視しし続けた生活をして自律神経を疲弊させたままお灸を据えても、その温もりが身体の奥まで届くことはありません。

だからこそ、私たちは表面のテクニックに走る前に、自分の「暮らしの土台」へと視点を戻す必要があります。


両極端を手放し、1ミリずつ「自分の手触り」を取り戻す

現代社会において、添加物や加工食品を100%ゼロにして生きることなど不可能です。

仕事に追われ、クタクタに疲れた夜にコンビニのお弁当に助けられる日があって当然ですし、休日に大好きなパンやスイーツを笑顔で味わう時間は、何物にも代えがたい「心のエネルギ―」になります。

大切なのは、過剰な排除でも無関心でもなく、「今、自分の身体はどう感じているだろう?」という優しい対話(内省)を取り戻すことです。

お弁当を食べた後、胃のあたりをそっと撫でてみる。
「今日は少しお腹が重いな。最近、温かいものを食べていなかったかもしれないな」

そうやって自分の身体にピントを合わせることが、養生の第一歩です。

長年かけて乱れてしまった生活や胃腸の疲労は、今日明日で急には戻りません。
明日から突然、完璧なオーガニック生活を目指す必要も一切ありません。

「今日の一食だけ、温かいお味噌汁を一杯添えてみる」 「今日は加工食品をお休みして、シンプルなご飯とお豆腐を味わってみる」

100点満点の極端を目指すのをやめて、できるところから「1ミリずつ」整えていく。
無関心を捨て、「おいしいな」と胸をなでおろして食べ物を味わう本来の食の喜びを取り戻したとき、あなたの胃腸は静かに動き出し、自律神経は自ら温かさを取り戻し始めます。

今夜は、ネット上の恐怖を煽るニュースや成分表示の検索画面をパタンと閉じてみませんか。

無頓着だった自分も、神経質すぎた自分もそっと手放して、今日一日を生き抜いた自分の足元に、小さなお守りの火(お灸)をそっと灯してあげる。

そうして身体の奥から足元を温め、泥のように深く眠る。

その優しい1ミリの引き算こそが、あなたの身体と心を、本来の健やかな巡りへと連れ戻してくれます。

とふ

臨床20年。鍼灸師の目線で、世の中をふんわりと眺めています。
日常のあれこれも、結局は「全部、気のせい(気の状態)」。 そんな風に感じたこと、見つけたことを、気ままに書き留めておく備忘録です。

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