以前、ふと目にした哲学のコラムの中に、とても印象的なエピソードがありました。
ライターの方がローマで混雑した電車に乗ったとき、「ここはスリが多い」という噂を思い出し、バッグを体の前で強く抱え込んだそうです。 周りの人がポケットやバッグに手を伸ばすたびにビクッと身体が強張り、結局、誰にも何も盗まれなかったのに、電車を降りるまで全身の力が抜けなかった。
「あのとき、車内の全員がスリに見えていた」
この言葉を読んだとき、私は深い切なさと共に、臨床の現場で出会う多くの患者さんの身体の強張りを思い出していました。
混雑した電車の中、SNSのタイムライン、殺伐とした職場の空気。
「気をつけないと攻撃されるかもしれない」「バカにされるかもしれない」「損をさせられるかもしれない」
私たちは日常のあらゆる場面で、全身の筋肉を硬く緊張させ、見えない鎧を着込んで生きています。 誰もが自分を傷つける「敵(スリ)」に見えてしまう。 それはまさに、哲学者トマス・ホッブズが説いた「万人の万人に対する戦い」の中に、自分から飛び込んでしまっている状態なのかもしれません。
24時間「戦闘モード」にハックされた身体
誰かに攻撃されたり、騙されたりしないために警戒すること自体は、人間が過酷な環境を生き抜くための大切な防御反応(防衛本能)です。
しかし、その警戒のアラームが24時間鳴りっぱなしになっていると、身体の自律神経はパニックを起こします。
東洋医学では、このような状態を「上実下虚(じょうじつかきょ)」と呼びます。 外側の敵を監視するために、気(エネルギー)や血がすべて頭や目に昇りつめ、脳が過覚醒を起こしている状態です。
頭や首筋はピリピリと熱く昂っているのに、足元やお腹はスーッと冷え切り、エネルギーがスカスカになっている。 息は浅く短くなり、肩はいかり、夜ベッドに入っても「いつ次の攻撃が来るか」と身体が身構えて眠れない。
外側のリスクをゼロにしようと警戒すればするほど、私たちの内側からは静かに安心感と体力が奪われていくのです。
外側に完璧な安全を求めても、鎧は脱げない
社会のルールや法を整えることは大切ですが、外側の世界からすべての不条理や悪意、ノイズを完全に消し去ることはできません。
「あの人がもっと優しくなれば」「もっと安全な環境になれば」と外側に安心の根拠を求め続けている限り、私たちは永遠に防衛の鎧を脱ぐことができないのです。
全員を敵だと疑ってしまうのは、あなたの心が狭いからでも、性格が屈折しているからでもありません。 これまでたくさん傷つき、不条理に耐えてきたあなたの心が、必死に自分を守ろうとしてくれた健気な防衛反応です。
だけど、その重たい鎧を着たまま、24時間365日走り続ける必要はありません。
せめて一日の終わり、自分の部屋の扉を閉めたときくらいは、外側の戦いをそっと「休戦」させてあげてもいいのではないでしょうか。
足元を手で包み、内側の戦いに「降伏」する
今夜、「なんだか一日中、全身に力が入っていたな」「世界中が敵に見えて疲れてしまったな」と感じているなら。
まずはスマホをそっと裏返し、画面の向こうに広がる無数のノイズから意識を引き揚げてみてください。
自由になった両手のひらで、冷え切った自分の足先や足首をそっと優しく包み込んであげる。 そこに、ちいさなお灸の火をポッと灯すのです。
お灸から立ち上る細い煙と、皮膚へじわーっと染み込んでいく穏やかな熱感。
その温もりにじっと耳を澄ましていると、頭の奥で怒り狂っていた警戒アラームが、ひとつ、またひとつと静かに消えていくのが分かります。
頭に昇りつめていた冷たい緊張が、温かい熱となって足元へ静かに引き降りていく。 「ああ、今この瞬間、自分を脅かすものは誰もいないんだ」という、生身の安心感がじんわりとお腹の底を満たしていきます。
鎧を脱いで、静かな夜に着地する
世界は時に不条理で、警戒しなければ傷つくこともあります。 それでも、あなた自身が自分の身体の味方であり続ける限り、あなたの内なる本丸は決して侵されることはありません。
外側の戦いを一瞬だけ手放し、自分の足元の温もりに降りていくこと。 それは敗北ではなく、自分自身を取り戻すための「誇り高き休戦」です。
今夜は重たい鎧をそっと脱ぎ捨てて。 温かいお灸の火とともに、愛おしい自分自身を静かに抱きしめて休ませてあげませんか。
🕯️ 日々を養生する
色々あった一日だけど、今夜は画面を閉じて、自分をいつくしむ「庭師」の時間にしませんか。
臨床20年の私が、毎晩の布団に入る前に実践している、自律神経をふわりと整えるためのお灸の知恵をこちらに置いておきます。

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