「恋愛や性愛がトラブルやリスクとして避けられている」 「傷つきたくないから、最初から関わらない方が安全だ」
若者の性交未経験率の増加や「脱性愛化」を分析したニュースを目にし、そこに透けて見える現代社会の空気感に、胸が静かに締め付けられる思いがしました。
失敗したくない。損をしたくない。傷つくリスクを回避したい。
情報があふれ、あらかじめ「正解」や「リスク」が可視化された現代において、外側のデータや効率に基準を求めて生きるのは、とても賢く安全な自衛策に見えます。
しかし、臨床の現場で20年、人間の身体と自律神経を見つめ続けてきて強く感じるのは、「外のデータや数値に自分の基準を求め、失敗や無駄を引き算しすぎると、人間という生き物はどこまでも味気なく、つまらなくなってしまう」ということです。
傷つかない「無菌室」で失われる、生身の手触り
「出身地を尋ねるのもハラスメント」「失敗しないための効率的な選択」——。 過剰なコンプラ社会やコスパ主義が包み込む現代は、例えるなら「絶対に菌が入らない無菌室」のようなものです。
無菌室の中に閉じこもっていれば、汚れることもなければ、他人と衝突して怪我をすることもありません。 けれど、無菌室の中で生きているうちに、私たちは大切なものを一つ失っていきます。
それは、「生身の体験がもたらす、血の通った手触り(温もり)」です。
リスクを恐れて人と深く関わらない。失敗しそうな挑戦は最初からキャンセルする。 そうやって安全な殻(防衛の鎧)に閉じこもっていると、自律神経は常に警戒モードのまま強張り、悲しみや傷つきを感じない代わりに、感動や喜び、安心感といった「命の温もり」まで麻痺させてしまうのです。
無駄と失敗を経なければ、人は味わい深く育たない
人間というのは本来、たくさんの「無駄」や「愚かな失敗」を経験してこそ、初めて深みや味わいが出てくる生き物です。
思い切って踏み出して恥をかいたり。 誰かを好きになって傷ついたり。 良かれと思ってやったことで裏目に出て、泣きながら反省したり。
先の記事でもお話ししたように、人間はどれだけ知識を学んでも失敗するし、喉元過ぎれば熱さを忘れてまた同じ過ちを繰り返してしまいます。 けれど、その「思い通りにいかない不完全さ」や「泥臭い遠回り」こそが、人間の愛おしさの正体であり、他人の痛みに寄り添える優しさ(正気)を育てる土壌なのです。
すべての行動をデータや損得勘定に当てはめ、「効率の良い正解」ばかりをなぞる生き方は、一見無駄がないようでいて、自分の人生の主導権を外側の数値(データ)にハックさせているのに過ぎません。
データは便利で役に立つ道具ですが、あなたの生き方や感情のすべてを証明してくれるものではないのです。
外の基準を捨て、足元の「生の感覚」に降りていく
「自分はこれでいいのだろうか」 「損をしているんじゃないか。失敗したらどうしよう」
頭の中で外のデータや他人の評価ばかりを計算しているとき、私たちの気(エネルギー)は頭に昇りつめ、交感神経がギリギリと緊張し続けています。
そんな情報過多の夜こそ、スマホを裏返し、数値やデータの檻から一歩外へ抜け出してみませんか。

温かい熱がじわーっと肌を伝わり、頭に昇っていた冷たい計算(ノイズ)が、足元へと静かに解け落ちていくのを感じる。
データには映らないけれど、そこには確かに「今、ここで生きている自分の身体の温もり」が存在しています。
失敗しながら、不器用に生きていけばいい
人間らしく生きるということは、完璧なデータをなぞることではありません。
無駄なことに遠回りし、時に失敗して傷つき、苦笑いしながら「まあ、これも人間らしくていいか」と自分を許してあげること。
データという冷たい鎧をそっと脱ぎ捨てて。 今夜は温かいお灸のぬくもりに身を任せ、愛おしい自分自身を抱きしめてあげませんか。
🍵 合わせて読みたい思索の跡


🕯️ 日々を養生する
色々あった一日だけど、今夜は画面を閉じて、自分をいつくしむ「庭師」の時間にしませんか。
臨床20年の私が、毎晩の布団に入る前に実践している、自律神経をふわりと整えるためのお灸の知恵をこちらに置いておきます。

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