過去に実績を重ねてきた人ほど、年齢を重ねるにつれてある一つの強い恐怖に囚われやすくなります。
「今さら失敗して、恥をかきたくない」 「若手の前で、不器用な姿を見せたくない」
その恐怖から自分を守るために、私たちは「完璧な計画」や「綿密な分析」という安全地帯に逃げ込み、頭の中で何重にもシミュレーションを繰り返すようになります。
「もう少し情報が集まってから動こう」 「完璧な準備が整ってから打席に立とう」
そうやって腕組みをして思考を巡らせている間、私たちは「仕事や人生に向き合っている」ような気になります。 しかし、臨床の現場で長く人の身体を観察してきた立場から見ると、それは「失敗の恐怖から身を守るために、身体と自律神経をカチコチに凍りつかせている状態」に他なりません。
頭の中の「計算」が、身体を冷やす
「失敗して評価を落としたらどうしよう」と頭の中で何度もリスクを計算しているとき、私たちの脳は激しい過覚醒(オーバーヒート)状態に陥っています。
東洋医学では、このように思考が空回りして止まらない状態を、気(エネルギー)や血がすべて頭部に上り詰める「上実下虚(じょうじつかきょ)」と呼びます。
頭に熱が上りのぼせる一方で、本来温まるべきお腹や足元はスカスカに冷え切ってしまう。 自律神経は「いつ敵から攻撃されるか分からない」と常に交感神経を緊張させ、胸や肩の筋肉を強張らせて防衛のバリアを張り巡らせます。
失敗しないための「完璧な計画」を練っているつもりが、その実、自分の身体を一番息苦しい無菌室へ閉じ込め、冷やしてしまっているのです。
泥臭く失敗する姿こそ、人間らしくて美しい
古今東西、どれほど優秀な人であっても、行動すれば必ず失敗します。 独立や挑戦、日々の小さな選択に至るまで、人間とはどれだけ学んでも失敗するし、時間が経てばまた同じ過ちを繰り返してしまう不器用な生き物です。
だからこそ、過去の栄光やプライドという重たい鎧を着込んで「評論家」として腕組みをする必要なんて、どこにもありません。
打席に立って失敗し、若手に苦笑いされながら「いやあ、またやってしまったよ」と自分の愚かさを素直に認める。 その泥臭く不器用な姿の中にこそ、血の通った人間の味わいがあり、他人の痛みに寄り添える本当の優しさ(正気)が宿るのです。
100回の綺麗なシミュレーションよりも、1回の泥臭い失敗。 失敗したら、また苦笑いして今日から一つずつやり直せばいい。そう自分に許しを与えた瞬間、頭の激しいのぼせはスッと引いていきます。
完璧さを捨て、手のひらのぬくもりに戻る
「こうあるべきだ」というプライドや過去の栄光は、今夜はそっと脇に置いておきましょう。
外側の評価やデータの計算で頭が重たくなっている夜こそ、スマホやパソコンを伏せ、自分の身体の生身の触感に戻ってくる時間を作ってみてください。
冷え切った自分の足先や足首を、自分の手のひらでそっと包み込んであげる。 そこに、ちいさなお灸の火をポッと灯す。
カチコチだった足元にじわーっと温かい熱が広がると同時に、頭に上っていた冷たい計算(ノイズ)が、足元へと静かに解け落ちていくのを感じるはずです。
完璧じゃなくていい。失敗してもいい。 今夜は頭の検品をやめて、愛おしい自分自身を静かに温めてあげませんか。
🕯️ 日々を養生する
色々あった一日だけど、今夜は画面を閉じて、自分をいつくしむ「庭師」の時間にしませんか。
臨床20年の私が、毎晩の布団に入る前に実践している、自律神経をふわりと整えるためのお灸の知恵をこちらに置いておきます。

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