朝、目を覚ました瞬間。 「あぁ、よく寝たな」「なんだかスッキリしているな」という、自分の身体が発する微細な芽吹き(体感)を確かめる前に、まずスマホやスマートウォッチの画面を開いて「昨夜の睡眠スコア」を検索してしまう。
画面に表示された「65点:浅い睡眠が多い」という無機質な数字を見た途端、さっきまで感じていたはずのスッキリ感は消え失せ、「そっか、今日の自分は疲れているんだ……」と、データの判断に自分の心身の調子を上書きしてしまう。
最近では、お酒やサウナ、サプリメントの摂取に加えて、日常のあらゆる行動が「睡眠データをどう変化させたか」という実験対象として数値化され、共有されるニュースをよく見かけます。
効率的に睡眠の質を上げたいという現代人の健気な願いは理解できます。けれど、一人の身体を診る人間として、温泉や養生に向き合う生活者として、どこか胸の奥に拭いきれない寂しさと違和感(澱)を覚えてしまうのです。
「自分がいま気持ちよく眠れているかどうか」という極めて主観的で愛おしい生の触感まで、私たちは機械の「数値」に検品してもらわなければ確信を持てなくなってしまったのでしょうか。
データの「検品」が引き起こす、脳の過緊張(のぼせ)
ウェアラブルデバイスがはじき出す「深い睡眠〇%」「レム睡眠〇時間」という数字。 それらは一見、科学的で客観的な正解のように見えます。
しかし、東洋医学や自律神経の視点からこの現象を眺めてみると、実に本末転倒な出来事が起きていることに気づきます。
本来、睡眠とは、昼間に頭へ集中していた熱や気(交感神経の緊張)をそっと静め、全身の巡りを足元へ降ろして「静寂(副交感神経)」へ帰っていく営みです。
それなのに、朝起きた瞬間から「今日のスコアは合格か、不合格か」と頭で計算と答え合わせ(検品)を始めてしまう。 さらに夜寝る前にも「スコアを上げるために、このサプリを飲んで、この環境にして……」と、頭の中でデータをよくするための実験計画を練ってしまう。
これでは、休まるはずの寝室で脳がずっと見えない正解を追いかけ、「頭の過覚醒(上実下虚・のぼせ)」を起こし続けてしまいます。
データを気にすれば気にするほど、脳は「睡眠という試験」を受けている戦闘モードに固定され、皮肉なことに自律神経のしなやかなゆらぎは奪われていくのです。
身体はデータではなく、「生きている手触り」である
東洋医学では、人の身体を固定された数字や機械のパーツとしては捉えません。 季節の風や温度、その日の出来事、心の波によって、毎晩ゆらゆらと揺れ動く「生きた庭」として扱います。
「今日はデータが悪かったから駄目だ」 「この数値を叩き出すのが正しい睡眠だ」
そんな外側の物差しに自分の感覚を明け渡してしまうと、身体が本来持っている「今夜の自分に必要な心地よさ」を感じ取る繊細なセンサー(正気)がじわじわと麻痺していきます。
睡眠の質とは、アプリがつけてくれる「80点」や「90点」という借り物の点数の中にではありません。
「布団に入ったとき、足先がふんわりと温かかった」 「お茶の湯気を吸い込んだとき、胸の奥のつかえがスッと溶けた」
そんな、誰にも数値化できない「自分だけの生の手触り」の中にしか存在しないのです。
デバイスを伏せ、足元の温もりに帰っていく
もし今、スマートウォッチの数字に一喜一憂し、「睡眠の質」という新しいレースに疲れてしまっているなら。
今夜は、そのデバイスをそっと腕から外し、スマホの画面を伏せてみませんか。
「良い睡眠をとらなければならない」というデータへの執着を一度引き算してみる。 政治や世間の流行と同様、他人が定めたデータに自分の心身を明け渡す必要はありません。
画面の青い光を消した暗闇の中で、冷えた自分の足元を手で優しく包み込んでみてください。
足元には、頭に上った熱をスーッと引き降ろし、心を「いま、ここ」の身体に落ち着かせてくれる大切な巡り(経絡)が通っています。
そこに小さなお灸をひとつ灯し、じわりと広がっていくぬくもりに、ただただ意識を委ねてみる。
「スコアなんて、何点でもいい」 「ただ、今夜の自分が温かく、呼吸が深く通っていればそれで十分だ」
そう自分に許しを与えた瞬間、カチコチに強張っていた自律神経の緊張はふわりとほどけ、身体の奥から本当の深い休まりが訪れます。
数字の物差しを捨てて、あなただけの静かな暗闇と体温の中へ、どうぞ身を委ねてみてください。
🕯️ 日々を養生する
色々あった一日だけど、今夜は画面を閉じて、自分をいつくしむ「庭師」の時間にしませんか。
臨床20年の私が、毎晩の布団に入る前に実践している、自律神経をふわりと整えるためのお灸の知恵をこちらに置いておきます。

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