第1章:奥の小上がりから見えた、カウンターの過緊張と怒鳴り声
仕事終わり、一日の施術を終えた私がふらりと立ち寄ったのは、街の路地裏にある静かな大衆居酒屋でした。
奥の小上がり席に腰を下ろし、仕事終わりの一杯で身体の緊張をほどいていたとき、少し離れたカウンター席から品のない怒鳴り声が響き渡りました。

「おい! この煮込み、味がぼやけてんだよ! 醤油と七味持ってこい! カウンターの客にこんなボケた出汁出すんじゃねえよ!」
声の主は、50代後半と思われる男。赤黒くのぼせた顔、カチコチに強張った首筋、そして荒々しい吐息。運ばれてきた煮込みに醤油をどばどばと回しかけ、大量の七味を振ると、アルコール度数の高い酒と一緒に一気に胃袋へ流し込んでいました。
遠目から見ても、その全身からは刺々しい過緊張と自暴自棄なオーラが漏れ出しています。
その時、たまたま私の近くのテーブル席に座っていた患者さんの誠治さんが、何とも痛々しく複雑な表情でカウンターの篠谷を見つめているのに気づきました。気になって声をかけると、誠治さんはぽつりと語り始めてくれたのです。

「先生……あの人、篠谷さんです。実は十数年前、僕が大切な接待でいつも使っていた高級料亭の、素晴らしい花形料理人だったんですよ。彼の引く出汁は本当に繊細で美しくて……職人としてのプライドに溢れていたんです。」

「えっ……あのカウンターの方が、料亭の料理人……?」

「ええ。ですが数年前、自分の不祥事で逮捕されて店を追われ、奥さんにも愛想を尽かされて離婚して……。それ以来、地元にも居づらくなって落ちぶれ、酒に溺れるようになってしまったんです……」
かつて繊細な出汁の香りを愛でていたはずの舌を、自ら強い酒と激辛・濃い味で焼き切り、身体を物理的に「麻痺」させて傷から逃げている。そんな篠谷の悲しき過緊張が、居酒屋の薄暗い灯りの下で浮き彫りになっていました。
第2章:届かない声と「手遅れ」という悲しい現実
誠治さんは意を決したように立ち上がり、昔の感謝を伝えるべく、恐る恐るカウンターの篠谷の背中へ歩み寄っていきました。

「あの……篠谷さん、ですよね? お久しぶりです。昔、〇〇料亭でお世話になった誠治です。篠谷さんのお料理、本当に大好きだったんですよ。」
かつての贔屓客からの温かい言葉。しかし、篠谷は赤く濁った眼で誠治さんを一瞥すると、顔を歪めて吐き捨てるように怒鳴りました。

「あぁ!? 誰だオマエ! 知らねえよ、人の酒の邪魔してんじゃねえ、失せろ!」

「……っ! す、すみませんでした……」
自分の落ちぶれた過去や、かつて自分を称賛してくれた人の顔すら、長年の深酒と自暴自棄によって脳の記憶から完全に消去されていたのです。
誠治さんは寂しそうに肩を落とし、私の待つ席へと戻ってきました。

「……完全に、手遅れなんですね。昔の篠谷さんの面影は、もうどこにも残っていませんでした……」
自ら感覚を物理的に麻痺させ、他人の優しさすら拒絶して毒を撒き散らす。その姿には、外側からいくら声をかけても届かない「手遅れ」という悲しい現実が横たわっていました。
第3章:ネットの暗闇に投稿された「冷静を装った毒」
数日後、私はあの日立ち寄った居酒屋の営業時間を調べるため、ふとスマホでネットの検索画面を開きました。
マップの店舗ページを開くと、Googleマップのクチコミ一覧の最上部に、見るに耐えない悪質な★1のレビューが投稿されているのが目に飛び込んできました。
あの日、カウンターで暴れていた篠谷が投稿したと一目でわかるクチコミでした。

「元プロの料理人の視点から言わせていただくが、出汁の引き方が甘く、素材の殺し方が目につく。サービス業としての基本すらなっておらず、居酒屋としても落第点。二度と行かない。星はつけたくないけど。。。」
現場では酒に酔って品なく怒鳴り散らしていた人間が、ネットの匿名という安全圏に隠れた瞬間、いかにも「冷徹で客観的な玄人」を装って毒を吐いている。
自分の人生の失敗、味覚の麻痺、身体の悲鳴を一切省みず、他人を自分の「感情のゴミ箱」にして鬱憤を晴らす。その精神の歪みと過緊張に、私は強い悲しさと虚しさを感じずにはいられませんでした。
第4章:街角での再会と、古代の名医・扁鵲が遺した「六不治」
さらに数日後、私は駅前のドラッグストア近くで、偶然にも再び篠谷の姿を見かけました。
レジ袋の中に強い胃薬、エナジードリンク、そしてストロング缶の酒を抱え、千鳥足で歩きながら、すれ違う通行人にイライラと肩をぶつけて悪態をついている篠谷。
その自暴自棄な後ろ姿を見送りながら、私の胸には、古代中国の名医・扁鵲(へんじゃく)が『史記』に遺した「六不治(ろくふち)」という教えが鮮明に去来していました。
扁鵲は、「どれほど優れた技術や薬があっても、以下の6つの心構え・態度を持つ人間を治すことは絶対にできない」と断言したのです。
- 驕恣論理、不道理者(きょうしろんり・ふどうりしゃ)
➔ 驕り高ぶり、身勝手な理屈ばかりこねて道理を聞かない者。 - 軽身重財(けいしんじゅうざい)
➔ 自分の生命や身体を軽んじ、目先の欲やくだらないプライドを優先する者。 - 衣食不能適(いしょくふのうてき)
➔ 暴飲暴食や不摂生をやめられず、生活を適度に整える気がない者。 - 陰陽並蓁、臓気不定(いんようへいしん・ぞうきふてい)
➔ 深酒や過刺激で気血が錯乱し、命の根本(自律神経)が崩壊している者。 - 形羸不能服薬(けいるいふのうふくやく)
➔ 身体が荒れ果て、薬やお灸の手当てを受け止める基本体力(気)すら残っていない者。 - 信巫不信医(しんふふしんい)
➔ 迷信や自分の歪んだ持論、酒ばかりを信じ込み、プロの言葉や真理を拒絶する者。
篠谷の生き方は、まさにこの「六不治」のすべてを自ら体現していました。
医療や手当ては、マジックではありません。「自分から身体に向き合い、変わりたい」という意志を持たない人間に対し、外側から魔法のように健康を与えることなど、2000年前の古代から不可能なのです。
「他人はあなたのゴミ箱ではない。」
自分の不摂生を棚に上げ、他人を攻撃して毒を撒き散らしている限り、彼にはどんな名医のお灸も、どんな温かい言葉も、1ミリも届くことはありません。
第5章:自暴自棄の余韻と、目の前の手当て
夕暮れの街の中へ、毒を吐きながら消えていく篠谷の後ろ姿を見送りながら、私は静かに深い息を吐き出しました。
すべての人を救うことはできない。自ら差し伸べられた手を拒み、暗闇へ堕ちていく人間を止めることはできない。
それが、臨床20年の中で知った、医療と手当ての「厳しき境界線」です。
治療院に戻った私は、換気をしてお灸に火をつけました。
ドアが開き、「先生、なんだか最近疲れが取れなくて……自分の身体としっかり向き合いたいです」と、不安そうな顔で訪れてくれた患者さんがベッドへ横たわります。

「大丈夫ですよ。自分の身体の声を聞こうとここに来てくださったなら、身体はちゃんと応えてくれますからね。」
私は、自暴自棄な生き方に媚びることをやめ、自分の足で立ち、身体を大切にしようとやってくる目の前の患者さんの足元へ、全魂を込めてひとつのお灸を据えました。
温かい煙が立ち上り、足元からめぐりが戻っていく。
完璧な人間なんていなくてもいい。けれど、自分の生命に感謝し、生身の感覚を取り戻そうとする手当ての温もりだけは、これからも大切に守り続けていこうと静かに心に誓った夜でした。
🕯️ 日々を養生する
色々あった一日だけど、今夜は画面を閉じて、自分をいつくしむ時間にしませんか。
臨床20年の私が、毎晩の布団に入る前に実践している、自律神経をふわりと整えるためのお灸の知恵をこちらに置いておきます。

👇 火を使わず、仕事中や寝る前にも一番身軽に使える「貼るだけ」のお守りです。
👇五感を整える、他のお守りたちを一覧で見てみる。

※「自分でお灸をするのに限界を感じる」「一度プロの手で全身を根っこから緩めてほしい」と感じたときは、一人で抱え込まずにお近くの信頼できる鍼灸院を頼ってみてください。
失敗しない治療院の選び方は以下の記事で詳しく解説しています。




コメント