朝晩の空気がふと緩んだり、冷え込んだりする季節の変わり目。湯気を立てるお茶を淹れながら、ふと目にしたニュースに深く考えさせられることがありました。
長年、第一線の現場で活躍されてきたジャーナリストの方が、大腸がんの闘病を明かされた記事です。年間数百杯のラーメンを食べ、睡眠は3時間ほど、それでも風邪ひとつ引かず、不調があればニンニクを補って走り続けてきた。「自分は頑丈だから病気とは無縁だ」と信じて疑わなかった日常の裏で、知らぬ間に大きな病が育っていたといいます。
臨床の場に20年身を置いていても、これと似たようなお話を本当によく伺います。「これまで風邪も引いたことがない」「健康診断の数値も悪くないから、自分は人一倍元気なんだ」と語る方ほど、ある日突然、糸が切れるように深刻な不調に直面してしまう。その姿を見るたびに、胸が締めつけられるような思いがするのです。
「風邪を引かない」のは、本当に健康なのか
現代社会では、タフに働き続けられることや、睡眠時間を削っても動けることが、まるで美徳のように語られがちです。しかし東洋医学の眼差しで見つめ直してみると、そこには少し違った景色が広がっています。
強い刺激物を食べ、短時間睡眠のまま活動し続けられる状態というのは、体が芯から元気なのではなく、交感神経の過緊張によって感覚が麻痺しているだけということが少なくありません。
体はずっと非常事態のアドレナリンを放出し続け、のぼせ上がった気と熱が頭に張り付いている状態です。
東洋医学では、これを「上実下虚(じょうじつげきょ)」と呼びます。頭や上半身ばかりに気が昇って興奮し、本来温かく保たれるべきお腹や足元は冷え切っている。
発熱やだるさといった「休んでほしい」という体からの微細なサインすら、過度な緊張のせいで受け取れなくなってしまうのです。
風邪を引かないのではなく、「風邪を引いて休む力」すら失っていたのかもしれません。
足し算の元気から、引き算の調和へ
調子が落ちそうになると、ニンニクや栄養ドリンクを足して無理やりエンジンを回す。
それは、燃料が切れかけて軋んでいる車に、無理にアクセルをベタ踏みさせるようなものです。
私たちはつい、「何を足せばもっと動けるか」「どうすれば疲れ知らずでいられるか」という足し算の健康法に囚われてしまいます。
周りと比べてどれだけ動けたか、何歳まで若々しく突っ走れるかという「比較」のレースに巻き込まれるほど、呼吸は浅くなり、自分の生身の体温が見えなくなっていきます。
養生において本当に大切なのは、足すことではなく「引き算」です。
- 過剰な刺激を引き算して、薄味の出汁や白湯の甘みを感じてみる
- 予定を引き算して、何もしない空白の時間を15分だけ作ってみる
- 「まだやれる」という気負いを引き算して、自分の現在地をそのまま認めてみる
便の太さや色、お腹の張り、手足の冷え。体はいつだって、静かな便り(たより)を届けてくれています。刺激や興奮でその声をかき消してしまう前に、立ち止まる勇気を持ちたいものです。
足元を手で温め、生身の自分に帰る時間
頭に昇りつめた過緊張の熱を降ろし、芯の冷えをいたわるために、今夜はぜひ「足元を温める手当て」をしてみてください。
湯船にゆっくり浸かったあと、座敷や布団の上に腰を下ろし、自分の足の甲や裏を両手で包み込みます。特別な知識や技術はいりません。「今日も一日、重い頭を支えて運んでくれてありがとう」と心の中で呟きながら、手のひらのぬくもりをじんわりと足の皮膚へ伝えていくだけです。
そしてもし手元にお灸があれば、足首の内側やくるぶしの周りなど、指で触れてみて「少し冷たいな」「凹んでいるな」と感じる場所に、そっと据えてみてください。
立ち上るひとすじの煙を見つめながら、深呼吸をひとつ。ツンと張り詰めていた気が、温もりとともに下へと降りていき、お腹の奥がトクントクンと緩んでいくのを感じられるはずです。頑丈さを競う鎧を脱ぎ捨てて、ただの生身の自分に戻る。その安らぎこそが、病を防ぐ確かな土台になります。
🕯️ 日々を養生する
色々あった一日だけど、今夜は画面を閉じて、自分をいつくしむ「庭師」の時間にしませんか。
臨床20年の私が、毎晩の布団に入る前に実践している、自律神経をふわりと整えるためのお灸の知恵をこちらに置いておきます。

👇 火を使わず、仕事中や寝る前にも一番身軽に使える「貼るだけ」のお守りです。
➔ 五感を整える、他のお守りたちを一覧で見てみる




コメント