最近、テレビやネットニュースで「男性更年期」という言葉をよく見かけるようになりました。
タレントのくわばたりえさんが旦那さんに「更年期ってあるの?」と問いかけたところ、「あるよ、尋常じゃない汗(ホットフラッシュ)が出る」と即答されたという話題も注目を集めていました。
パートナー間で不調を理解し合おうとする姿勢はとても素晴らしいことです。けれど、臨床の現場に20年立ってきた身として、「男性更年期」という新しいラベルが独り歩きしている現状には、どこか胸の奥で引っかかるような違和感を覚えてしまいます。
「自分も男性更年期かもしれない」「だからホットフラッシュや倦怠感が出るんだ」――。 そうやって病名やカテゴリで自分を括ることで、どこかホッとして安心してしまう。現代人の心の中には、そんな心理が潜んでいるように思えるのです。
ラベルで「安心」し、根本から目を背けていないか
「これは男性更年期のせいだ」「ホルモンが減っているんだから仕方ない」と思えることは、ある意味で気持ちを楽にしてくれます。自分のせいではないと納得でき、手軽なサプリメントや薬(足し算)に頼る明確な理由ができるからです。
けれど、それは裏を返せば、「なぜ自分の身体がそこまで強張ってしまったのか」という根本的な暮らしや生き方から目を背けている姿とも言えます。
現代人は仕事のプレッシャーや人間関係、情報過多によって常に神経を研ぎ澄まし、交感神経を限界まで緊張させています。その積み重ねによって起きた身体の悲鳴を、すべて「年齢によるホルモンの減少(男性更年期)」という一言で片付けてしまうのは、あまりにも勿体なく、そして乱暴なことではないでしょうか。
年齢ではなく、「今どんな生活をしているか」
東洋医学では、生命力の根っこであり、年齢とともに変化していくエネルギーを「腎(じん)の気」と呼びます。
大昔の医学書には「男性は8の倍数の年齢で身体が変化する」と書かれており、40代・50代でエネルギーの巡りに変化が訪れることは、ごく自然な命のバイオリズムとして捉えられていました。
しかしここで大切なのは、40代・50代だからといって、誰もが一律に「腎の気」が枯れ果てるわけではないということです。
臨床の現場にいると、50代であっても驚くほど「腎の気」が充実し、肌にツヤがあり、精力的に毎日を楽しんでいる方にたくさん出会います。逆に30代であっても、過酷な労働とストレスで「腎」を削り取り、全身の冷えやのぼせに苦しんでいる方もいらっしゃいます。
結局のところ、大切なのは「年齢」や「男性更年期か否か」というラベルではありません。「今、あなたがどんな環境で、どんな生活をし、身体をどう扱っているか」という生身の現実なのです。
メディアのラベルに踊らされている自覚が、第一歩
「自分は男性更年期なんだろうか」と不安になり、ネットで症状を検索してサプリメントを探し回る。その行為自体が、すでに頭に血を上らせ、自律神経をさらに過緊張させています。東洋医学でいう「上実下虚」――気が頭にばかりのぼり、足元や腹が冷え切っている状態です。
だからこそ、まずは一歩引いて気づいてほしいのです。
「あ、自分はメディアの煽り文句に踊らされていたのかもしれない」 「現代医学の新しいカテゴリやラベルに振り回されて、自分の体から逃げていたのかもしれない」
その小さな自覚(ハッとする感覚)を持つことこそが、外側のノイズを捨て、本当の自分自身と向き合うための「第一歩」になります。
外側のサプリを足す前に、足元を温める「引き算」を
不調を感じたときに真っ先にすべきなのは、薬やサプリを買いに走ること(足し算)ではありません。まずは「自分を追い詰めている生活の緊張」をひとつ手放す「引き算」です。
スマホを置き、頭の計算機を止め、冷たくなっている自分の足元を手でそっと包み込んでみてください。
そして、足元のツボに小さなお灸を据えてみる。
チリチリとした温かい熱が皮膚をとおして深部に染み込んでいくと、頭に上り詰めていた「のぼせ」がすーっと下がり、張り詰めていたお腹や胸の緊張が緩んでいきます。足元が温まり、呼吸が深くなると、「なんだ、自分の身体はまだこんなに元気に巡ろうとしているじゃないか」という生の体感が戻ってきます。
年齢や病名という概念に自分を当てはめる必要はありません。今夜はラベルをすべて剥がし、ただ自分の足元を優しく温めて、生身の体温を取り戻してみませんか。
🕯️ 日々を養生する
色々あった一日だけど、今夜は画面を閉じて、自分をいつくしむ「庭師」の時間にしませんか。
臨床20年の私が、毎晩の布団に入る前に実践している、自律神経をふわりと整えるためのお灸の知恵をこちらに置いておきます。

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